早稲田大学駅伝部の復活に大きな期待がかかっている花田勝彦(はなだ・かつひこ)監督。
現役時代に2度のオリンピック出場を果たすなど、輝かしい実績を誇る花田勝彦監督ですが、結婚した妻や子供の存在はベールに包まれていますよね。
プライベートな話題への関心も高い花田勝彦監督のwikiプロフィールを確認していきましょう。
花田勝彦監督のwikiプロフィール
早稲田大学駅伝部を率いる花田勝彦監督のwikiプロフィールを表でまとめました。
名前 | 花田勝彦(はなだ・かつひこ) |
生年月日/誕生日 | 1971年6月12日 |
年齢 | 53歳(2024年12月時点) |
出生地 | 京都府京都市 |
出身地 | 滋賀県 |
身長 | 175cm |
血液型 | AB |
趣味 | 読書 |
中学 | 近江八幡市立西中学校 |
高校 | 彦根東高校 |
大学 | 早稲田大学(人間科学部・スポーツ科学科) |
実業団 | エスビー食品 |
職業 | 陸上競技指導者 |
職歴 | 上武大学駅伝部監督→GMOアスリーツ→早稲田大学駅伝部監督 |
京都府生まれではありますが、出身地は滋賀県で、彦根東高校を卒業している花田勝彦監督。
上武大学ではビジネス情報学部准教授に抜てきされた過去もあるので、文武両道の理想形ともいえる経歴を歩んでいることになりますね。
1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪にも出場した経験がある花田勝彦監督ですが、結婚した嫁との馴れ初めは判明しているのでしょうか?
花田勝彦監督が結婚した嫁との馴れ初めは?
花田勝彦監督は結婚した嫁との馴れ初めを明かしたことがありません。
noteで家族に関する話題を発信したことはあるものの、結婚した嫁とのエピソードは非公表にしているので、どんな流れで入籍した?など馴れ初めは分かりませんでした。
早稲田大学時代から既に結婚した嫁と知り合っていた可能性がある一方、エスビー食品で働いている時に運命の出会いを果たしたのかもしれませんよね。
ただ、花田勝彦監督が結婚した嫁の情報をシークレットにしていることを踏まえると、陸上競技とは無縁の女性とゴールインしたのでは?と予想しました。
花田勝彦監督の妻はどんな人?年齢や顔画像
花田勝彦監督は嫁との馴れ初めだけでなく、結婚した妻の年齢や顔画像も非公表にしています。
ただ、「学んで伝える」という著書を出版するなど、花田勝彦監督はとても勤勉な人物なので、結婚した妻も聡明で綺麗な女性なのでは?と予想しました。
陸上競技とは無縁の人物であれば、妻の顔画像をわざわざ出す必要もないですし、結婚した嫁のプライバシー保護に努めている点も好感が持てますよね。
また、花田勝彦監督が早稲田大学駅伝部の寮に住んでいるという情報もないので、結婚した妻は自宅で夫の活躍を全面サポートしているようです。
花田勝彦監督の家族について!子供の娘や息子はいる?
花田勝彦監督は「本人・嫁・息子・娘」の4人家族で、子供は19歳の長男と15歳の長女の2人です。
結婚した妻の話題は完全シークレットにしている花田勝彦監督ですが、noteの中で2人の子供について言及する場面がありました。
「長男は学校が終わった後も塾に行って、午後10時を過ぎないと家には帰って来ない。都合、寝るのは深夜0時を回ることが多いのだが、そのくせ、週に何度かは高校の朝補習に行くと言って、起きられないから起こしてくれとせがんでくる。」
引用:note
息子は勉強漬けの日々を過ごしていたので、父・花田勝彦監督と同じ早稲田大学などハイレベルな学校に進学した可能性が高くなっています。
「長女(小5)が家庭学習で使っている通信教育用タブレットには、メールの機能がついている。」
引用:note
2021年10月30日に投稿されたnoteにて、小学校5年生の長女の存在を明かしている花田勝彦監督。
2024年現在は15歳になった長女なので、関東圏の高校進学に向けて勉強を必死に頑張っていることでしょう。
最後に、花田勝彦監督の経歴を振り返っていきます。
花田勝彦監督の経歴
花田勝彦監督の経歴を調べていくと、学生時代から「早大三羽ガラス」と呼ばれるなど、陸上界屈指のアスリートとして注目を集めていたことが分かりました。
高校時代(彦根東高校)の実績
大学時代(早稲田大学)の実績
実業団時代(エスビー食品)の実績
監督時代(上武大学・GMO・早稲田大学)の実績
高校時代(彦根東高校)の実績
小学校卒業まで野球に打ち込んでいた花田勝彦監督。
中学校進学後に怪我で野球を続けられなくなったことが転機となり、陸上競技に没頭していきます。
陸上の全国大会での実績が乏しかったため、強豪校ではない公立の彦根東高校に進学。
でも、高校2年のインターハイで1500m6位入賞を果たしたほか、高校3年のインターハイでも1500m5位に入り、素質の高さを見せつけました。
大学時代(早稲田大学)の実績
世界的名ランナー・瀬古利彦さんのスカウトにより、早稲田大学へと進んだ花田勝彦監督。
同い年の櫛部静二さん(城西大学監督)、武井隆次さんとともに「早大三羽ガラス」と呼ばれ、早稲田大学駅伝部の黄金期を築きます。
1993年箱根駅伝では4区で区間新記録(1時間02分07秒)を樹立し、早稲田大学の総合優勝に大きく貢献。
大学1年から4年続けて箱根駅伝に出場した花田勝彦監督はどんどん知名度を上げていくのでした。
実業団時代(エスビー食品)の実績
早稲田大学OB・瀬古利彦さんが陸上部監督を務めていたエスビー食品へと入社した花田勝彦監督。
ニューイヤー駅伝や日本選手権など大きな大会で活躍した後、花田勝彦監督は1996年アトランタ五輪(男子10000m)と2000年シドニー五輪(男子5000m・10000m)の日本代表にも選ばれました。
しかし、シドニー五輪の後に度重なる怪我に悩まされ、年齢33歳の2004年に競技引退を表明し、指導者への道を歩んでいきます。
監督時代(上武大学・GMO・早稲田大学)の実績
・2004年から上武大学陸上部長距離部門の監督に就任
・2009年に上武大学を箱根駅伝初出場に導く
・2016年3月に上武大学を辞め、実業団(GMO)の監督に
・2020年1月のニューイヤー駅伝でチーム初の5位入賞を果たす
・2022年6月から早稲田大学駅伝部監督に就任
学生時代から目覚ましい実績を残していた花田勝彦監督ですが、弱小チーム・上武大学長距離部門の実力向上が指導者としての第一歩でした。
監督就任からわずか5年で上武大学を箱根駅伝出場に導くなど、十分な実績を挙げた後、新進気鋭の実業団チーム・GMOアスリーツへ移籍。
2022年6月に母校・早稲田大学の駅伝部監督に抜てきされ、古豪復活への期待が懸かっています。
まとめ
花田勝彦監督(早稲田大学駅伝部)は「本人・妻・子供(息子と娘)」の4人家族ですが、結婚した嫁との馴れ初めは分かりませんでした。
2度のオリンピック出場を果たしたほか、弱小だった上武大学を箱根駅伝出場に導くなど、十分すぎる経歴を誇る花田勝彦監督の更なる活躍に期待したいですね。