箱根駅伝で3度の総合優勝を果たしている東洋大学の酒井俊幸(さかい・としゆき)監督。
アスリート界きってのイケメンとして知られている酒井俊幸監督ですが、結婚相手の妻や子供(息子・娘)が誰なのか?を気にしている方が多くなっているようです。
学生時代の実績や経歴への関心も高まっているので、まずは酒井俊幸監督のwikiプロフィールを整理していきましょう。
酒井俊幸監督の経歴wikiプロフィール
酒井俊幸監督の出身地は福島県で年齢は48歳になります。
wikiプロフィールを表でまとめたので、早速確認していきましょう。
名前 | 酒井俊幸(さかい・としゆき) |
生年月日/誕生日 | 1976年5月23日 |
年齢 | 48歳(2024年12月時点) |
出身地 | 福島県石川郡石川町 |
実家の家族構成 | 父・母・本人・妹(酒井俊幸と双子)・弟 |
高校 | 学法石川高校 |
大学 | 東洋大学・経済学部 |
職歴 | コニカミノルタ(旧:コニカ)→学法石川高校教諭→東洋大学駅伝部監督 |
母校(学法石川高校)の教諭を務めた後、32歳の若さで東洋大学駅伝部監督に就任。
前任の不祥事が影響したとはいえ、わずか32歳で名門大学の駅伝部監督に抜てきされるくらいですから、酒井俊幸監督の指導力がズバ抜けていたのは間違いないでしょう。
指導者として優秀なのはもちろん、正統派イケメンで数多くのファンを抱えている酒井俊幸監督ですが、結婚相手の妻はどんな人物なのでしょうか?
酒井俊幸監督の結婚相手の妻は瑞穂さんでコーチ
2003年、酒井俊幸監督は同じ1976年生まれの妻・瑞穂さんと結婚しました。
イケメンアスリート・酒井俊幸監督のハートを射止めた結婚相手の妻・瑞穂さんのプロフィールを表でまとめます。
名前 | 酒井瑞穂(さかい・みずほ) |
旧姓 | 佐藤瑞穂 |
生年月日/誕生日 | 1976年11月20日 |
年齢 | 48歳(2024年12月時点) |
出身地 | 福島県福島市 |
高校 | 福島西高校(旧:福島西女子高校) |
大学 | 日本女子体育大学 |
職歴 | 教員(光南高校→郡山萌世高校) |
職業 | 競歩コーチ(東洋大学) |
酒井俊幸監督の結婚相手の妻・瑞穂さんは東洋大学で競歩のコーチを務めていて、川野将虎選手(旭化成)など国際大会のメダリストを指導した実績があります。
妻・瑞穂さんは現役時代も競歩の全国大会で活躍。
1994年の全国高校選抜3000m競歩で6位入賞を果たしたほか、1998年神奈川国体では5000m競歩で7位という好結果を残しています。
出会いと馴れ初め
酒井俊幸監督と結婚相手の妻・瑞穂さんの出会い・馴れ初めは高校時代でした。
高校生の頃は知り合い程度の仲だったので、2人が上京してから関係が深まっていき、大学1年生になったところで交際がスタート。
美男美女カップル誕生で評判になっていたでしょうし、27歳になった2003年に無事ゴールインしました。
子供
酒井俊幸監督には2人の子供がいて、性別はいずれも男の子です。
東洋大学の学生寮近くに自宅を構えており、2人の子供も選手と触れ合う場面が多くなっているとのこと。
2018年に妻・瑞穂さんが東洋大学の競歩コーチになるまでは夫婦で学生寮に滞在する機会も多く、家事と育児を上手く分担して、良好な夫婦関係を維持しているそうです。
陸上界きってのおしどり夫婦でもある酒井俊幸監督ですが、学生時代の実績はどんな感じなのでしょう?
酒井俊幸監督の学生時代の実績
酒井俊幸監督は学生時代に全国高校駅伝や箱根駅伝に出場した実績があります。
・学法石川高校2年で全国高校駅伝6区(区間10位)を走る
・国立大学で教師になることを夢見ていたが、陸上競技に全力投球する
・大学1年の箱根駅伝は3区で区間11位
・大学2年の箱根駅伝は7区で区間12位
・大学3年の箱根駅伝は1区で区間13位
・大学4年は主将を務めたが、怪我で箱根駅伝出場できず
全国の大舞台に出場した経験がある酒井俊幸監督ですが、目立った実績を残したわけではありません。
でも、学生時代に父が病気で倒れ、家計が苦しくなった時でも母のサポートもあって陸上競技に没頭することができた酒井俊幸監督。
「国立大学に進学して教師になる」から「陸上競技で成功を収める」という夢に変更したものの、ただひたすらに駅伝に打ち込んだ酒井俊幸監督は学生時代から真面目な性格だったのは間違いないでしょう。
最後に、酒井俊幸監督の経歴を振り返っていきます。
酒井俊幸監督の経歴
酒井俊幸監督の経歴を見ていくと、コニカ時代にニューイヤー駅伝3連覇を達成した後、東洋大学の監督に抜てきされ、箱根駅伝優勝を果たしていたことが分かりました。
・東洋大学卒業後は実業団のコニカ(現在のコニカミノルタ)へ入社
・コニカのニューイヤー駅伝3連覇メンバーとなる
・2002年と2003年優勝時はアンカーを務め、胴上げされた
・2005年にコニカを退社し、学法石川高校の教師に
・福島県大会で活躍した柏原竜二(いわき総合高校)の素質を見出す
・2009年3月から東洋大学駅伝部監督に就任
・前任監督の不祥事により、急遽代役を務めることに
・箱根駅伝出場歴のある大学の中で史上最年少(32歳)監督となった
・三大駅伝で通算5度の優勝(箱根駅伝3回、出雲駅伝1回、全日本大学駅伝1回)
東洋大学を卒業した直後、2000年代の陸上競技のトップランナーだったコニカへと入社した酒井俊幸監督。
ニューイヤー駅伝3連覇だけでなく、アンカーを務めて2回優勝のゴールテープを切る、という貴重な経験をしているのは酒井俊幸監督ぐらいではないでしょうか。
コニカを辞めた後は教員に専念していましたが、2008年末に東洋大学・川嶋伸次監督が不祥事で退任したことを受け、酒井俊幸監督が急遽新しい監督に抜てきされました。
「山の神」と呼ばれた名ランナー・柏原竜二さんの素質の高さを高校時代から見抜いていて、東洋大学への進学を強く推薦していた酒井俊幸監督。
秘蔵っ子の柏原竜二さんと共に挑戦した箱根駅伝で総合2連覇を成し遂げ、酒井俊幸監督は陸上界が誇る最高級の指導者へと成長するのでした。
まとめ
酒井俊幸監督の結婚相手の妻・瑞穂さんは東洋大学の競歩コーチを務めていて、子供は息子が2人いて、娘はいないことが分かりました。
学生時代に箱根駅伝を3度経験し、実業団時代にニューイヤー駅伝3連覇を果たすなど、十分な実績を残しただけでなく、監督就任後の経歴も優秀で、非の打ち所がないプロフィールを誇っています。