城西大学駅伝部監督の櫛部静二(くしべ・せいじ)さんですが、結婚した嫁や子供(息子や娘)への関心が高まっています。
箱根駅伝2025で上位進出が期待される城西大学・櫛部静二監督の経歴はもちろん、学生時代の話など、気になる話題を総まとめ。
まずは、櫛部静二監督のプロフィールを整理していきましょう。
櫛部静二は城西大学の箱根駅伝監督!プロフィール
箱根駅伝の常連校・城西大学を率いている櫛部静二監督。
気になるプロフィールを表でまとめたので、どうぞご覧ください。
名前 | 櫛部静二(くしべ・せいじ) |
生年月日/誕生日 | 1971年(昭和46年)11月11日 |
年齢 | 53歳(2024年12月時点) |
出身地 | 山口県宇部市 |
高校 | 宇部鴻城高校 |
大学 | 早稲田大学・人間科学部スポーツ科学科 |
大学院 | 日本体育大学・大学院 |
職歴 | エスビー食品→城西大学 |
職業 | 城西大学駅伝部監督、城西大学経営学部准教授、運動生理学者 |
早稲田大学や日本体育大学の大学院など、スポーツの名門校を卒業している櫛部静二監督。
2004年4月から城西大学の助教となり、創立したばかりの男子駅伝部コーチに就任した後、2009年から監督となり、チームを指揮しています。
箱根駅伝2024では城西大学を史上最高の総合3位に押し上げ、注目を集めた櫛部静二監督ですが、結婚した嫁はいるのでしょうか?
櫛部静二の結婚した嫁は誰?
櫛部静二監督の結婚した嫁の存在は確認されていません。
城西大学駅伝部には専用の学生寮があり、櫛部静二監督は選手たちと一緒に生活しています。
櫛部静二監督が学生寮で寝泊りするのは平日だけで、土曜や日曜は自宅に帰っていることが分かっています。
でも、自宅でどんな暮らしをしているのか?を明らかにしたことはなく、結婚した嫁の匂わせをしたことすらありません。
女性との目撃情報も出ていないことから、櫛部静二監督には結婚した嫁はおらず、独身生活を続けている可能性が高いと思います。
櫛部静二に子供(息子や娘)はいる?
結婚した嫁の存在が確認されていない櫛部静二監督ですので、息子や娘など子供もいない可能性が高くなっています。
櫛部静二監督のX(旧Twitter)を確認してみても、駅伝部や城西大学関連の投稿が大半ですよね。
子供の存在を匂わせたものは見つかっておらず、目撃情報も出ていないので、息子や娘はいないと推測するのが妥当ではないでしょうか。
続いては、櫛部静二監督の経歴を詳しく掘り下げていきます。
櫛部静二の経歴
櫛部静二監督は早稲田大学やエスビー食品といった陸上の名門で活躍した元アスリートです。
現役時代には箱根駅伝にも出場していた櫛部静二監督の経歴をまとめました。
高校時代(宇部鴻城)
大学時代(早稲田大学)
実業団時代(エスビー食品)
監督時代(城西大学)
高校時代(宇部鴻城)
櫛部静二監督は宇部鴻城高校時代から陸上界のトップスターとして活躍。
三浦龍司選手(洛南高校→順天堂大学→SUBARU)が更新するまで、3000m障害の高校記録を保持していました。
高校3年の時には3000m障害のインターハイで見事優勝を果たし、陸上の名門・早稲田大学へと進学します。
大学時代(早稲田大学)
櫛部静二監督は早稲田大学の人間科学部・スポーツ科学科に進み、陸上部に所属します。
・箱根駅伝に4度出場
・大学3年時は箱根駅伝1区の区間新記録を樹立し、総合優勝に導く
・大学2年時には全日本インターカレッジ10000mで優勝
花田勝彦さん(早稲田大学駅伝部監督)や武井隆次さん(箱根駅伝3年連続区間新記録)と同期で、”早大三羽ガラス”の1人としてエース級の活躍を期待されていた大学時代の櫛部静二監督。
大学3年の時にはスーパールーキー・渡辺康幸さん(住友電工監督)を中心とした最強チームの一員となり、悲願だった箱根駅伝総合優勝を果たします。
実業団時代(エスビー食品)
早稲田大学卒業後の櫛部静二監督は、瀬古利彦さんが監督を務めていたエスビー食品陸上部に進みます。
実業団入り3年目の1996年には1時間走の日本新記録(20410m)を樹立したほか、1998年のバンコクアジア大会の日本代表にも選出されました。
しかし、櫛部静二監督は陸上の指導者になりたい!という思いが強かったため、2001年にエスビー食品を退社し、日本体育大学・大学院(保健体育研究科修士課程)へ進学します。
大学院で運動生理学の勉強を進める一方、愛三工業所属のランナーとして活動したほか、設立したばかりの城西大学駅伝部のコーチに抜てき。
2006年の北京国際マラソンに出場したタイミングでドラマ「鉄板少女アカネ!!」に登場していて、ヒロイン役の堀北真希さんから直接応援メッセージを送られたこともありました。
監督時代(城西大学)
理学部の保健体育助手、経営学部のマネジメント総合学科講師を歴任した後、2009年から城西大学駅伝部の監督を務めています。
2010年には城西大学・経営学部の准教授に就任している櫛部静二監督ですから、文武両道の理想形ともいえますよね。
城西大学駅伝部は箱根駅伝のシード権を獲得することすら難しい状況でした。
しかし、櫛部静二監督の献身的な指導の成果もあり、2024年箱根駅伝で見事総合3位となって、城西大学駅伝部の史上最高成績を残したのです。
2024年全日本大学駅伝で総合6位に入り、2025年箱根駅伝へ向けて弾みをつけた櫛部静二監督ですが、学生時代に辛いエピソードを経験していたことが分かりました。
櫛部静二の学生時代のエピソードも
櫛部静二監督は学生時代(早稲田大学)の箱根駅伝でブレーキとなり、チームの順位を大きく下げるアクシデントに見舞われています。
想定外の事態に巻き込まれた櫛部静二監督の学生時代のエピソードを掘り下げていきましょう。
大学1年箱根駅伝でブレーキ
櫛部静二監督は大学1年の時に箱根駅伝でエース区間の2区にエントリー。
1位で臙脂(えんじ)のタスキを受け取ったものの、フラつく場面が多く、レース終盤に立ち止まるアクシデントもあり、チームの順位が14位まで落ちてしまったのです。
なんとかタスキを次のランナーに渡すことはできましたが、脱水症状の影響で意識が朦朧としており、レース中に靴紐がほどけていることにも気づけないレベルの体調不良を起こしました。
ブレーキの理由
なぜ櫛部静二監督が脱水症状を起こしたのかというと、箱根駅伝の2~3日前にOBから差し入れしてもらった残り物の刺し身を食べてしまったからです。
OB訪問時に外出していた櫛部静二監督は、新鮮な状態のものを食べることができず、鮮度が落ちた刺し身を食べた結果、軽度の食中毒になってしまいました。
体調不良をごまかしながら箱根駅伝にエントリーした櫛部静二監督でしたが、レース序盤から走りの動きが悪く、意識レベルがどんどん低下してしまったのです。
予期せぬブレーキで部員たちに迷惑をかけた櫛部静二監督は、10年以上箱根駅伝のトラウマを抱えていました。
でも、城西大学駅伝部を率いるようになり、教え子たちの成長を見守っていくにつれて、過去のトラウマを克服し、指導者として過酷な箱根駅伝に挑む決意を固めたのです。
まとめ
櫛部静二監督(城西大学駅伝部)には結婚した嫁はおらず、子供(息子や娘)の情報も出てきていません。
早稲田大学やエスビー食品で目覚ましい活躍を見せた経歴は輝かしいものでしたが、学生時代の話を掘り下げていくと、食中毒が原因の脱水症状で箱根駅伝でブレーキを経験し、トラウマを抱えていたことが分かりました。